柴崎先生の「手」は何を感じているのか?
――日本人が磨いてきた「手業」と、身体を感じる力
館林市松原町の「柴崎接骨院」。
施術を見ていて、気になっていたことがある。
柴崎亮太院長が患者さんの身体に手を当てたまま、じっと動かなくなる瞬間だ。
揉んでいるわけでもない。強く押しているわけでもない。
ただ手を当て、何かに集中しているように見える。
「先生、今、何をしているんですか?」
聞いてみると、返ってきたのは意外な言葉だった。
「神経の流れを感じています」
神経の流れを感じる?
素人からすると、当然ながら疑問が湧く。
「そんなものが手で分かるんですか?」
すると柴崎先生が、面白い例えをしてくれた。
「手のひらで感じているんです。目の見えない人が点字を読めるようになるのと同じかな?!」
この説明を聞いて、なるほどと思った。
最初は点字の一つひとつの凹凸を指先で確認していたものが、繰り返し触れ、感覚を磨いていくことで、だんだんと指先だけで文字として読み取れるようになっていく。
柴崎先生が言いたかったのは、そんな感覚に近いのだという。
最初から何か特別な能力が備わっているという話ではない。
何度も人の身体に触れる。
意識を集中する。
わずかな違いを感じ取る。
そして、その感覚と実際の身体の状態を照らし合わせる。
それを何度も何度も繰り返していく。
そうすることで、最初は分からなかった微細な違いが、少しずつ**「手から入ってくる情報」**として感じられるようになっていく。
点字を読む指先が経験によって研ぎ澄まされていくように、施術家の「手」もまた、経験と勉強によって育っていく。
そんな話なのだろう。
そして柴崎先生は言った。
「今も勉強中です」
この言葉が、とても印象に残った。
日本人が磨いてきた「手業」
柴崎先生の話を聞きながら、ふと思い浮かんだのが、日本の職人たちの「手」だった。
陶芸、漆芸、木工、金工、染織、和紙、刃物、建具――。
日本には古くから、手を使い、長い年月をかけて技術を磨いてきた職人文化がある。
素材に触れる。
重さを感じる。
微妙な凹凸を指先で捉える。
音を聞く。
時には温度や湿度まで考えながら、目の前の素材と向き合う。
もちろん、伝統工芸の職人と施術家はまったく異なる仕事である。
それでも、どこか共通しているように感じるものがある。
それは、
「手を使って考える」
ということだ。
頭で覚えた知識だけではなく、何千回、何万回と繰り返すうちに身体そのものが違いを覚えていく。
日本では、そうした長年の経験によって培われた卓越した技術を「職人技」「手業」と呼んできた。
寿司職人は魚に触れる。
大工は木に触れる。
陶芸家は土に触れる。
そして施術家は、人の身体に触れる。
扱う対象はまったく違う。
それでも、触れることによって情報を受け取り、経験によってその感覚と技術の精度を高めていくという部分には、どこか日本の職人文化に通じるものがあるのではないだろうか。
「ゴッドハンド」と呼ばれる人とは何なのだろう
世の中には、卓越した施術技術を持つ人が、俗に「ゴッドハンド」と呼ばれることがある。
この言葉だけを聞けば、何か特殊な能力を持っている人のようにも聞こえる。
しかし柴崎先生の話を聞いていると、違った見方もできるのではないかと思った。
ゴッドハンドと呼ばれる人とは、最初から魔法のような力を持っていた人ではなく、何年、何十年と人の身体に触れ、学び、考え、試しながら、身体をより良い状態へ導くための技術と「手で感じる力」を究極的なところまで磨き上げてきた人なのではないか。
普通の人には分からないような微細な違いを感じ取る。
そして、その違いに応じて自分の技術を使う。
それが長年の経験によって培われたものだとすれば、「ゴッドハンド」と呼ばれる人もまた、ある意味では身体と向き合い続けてきた職人なのかもしれない。
「先生には分かる」を「患者さんにも分かる」へ
一方で、大切にしておきたいことがある。
今回の「神経の流れを手のひらで感じる」という表現は、医学的・科学的に確認された現象として紹介しているものではない。
あくまで、柴崎先生自身が施術中に感じ取っている感覚を、自分なりの言葉で説明したものだ。
だからこそ、メディアトーキングとして興味を持っていることがある。
その「見えない感覚」を、どうすれば見える形にできるのか。
柴崎接骨院では現在、「身体の軸」に着目した新しい取り組みも構想している。もともと同院は、痛い場所だけを見るのではなく、身体の悩みが改善することで日常や行動まで前向きに変わっていくことを目指している。
身体の正面、横、後ろから写真を撮影して軸の状態を記録したり、施術前後で身体への力の入り方にどのような違いが出るのかを比較したりするなど、身体の変化を視覚的に伝える方法についても検討を始めている。
つまり、
「先生には分かる」から、「患者さんにも分かる」へ。
感覚だけの世界で終わらせず、写真や動画、身体の動きなどを使って、一般の人にも理解できる形へ落とし込んでいく。
ここに、これからの取り組みの面白さがある。
「今も勉強中」
そして何より印象に残ったのが、
「今も勉強中です」
という柴崎先生の言葉だった。
「自分には分かる」「自分は極めた」と言うのではない。
まだ勉強しているという。
考えてみれば、日本の優れた職人の世界にも似たところがある。
何十年仕事をしていても、まだ学ぶ。
もっと上手くなれる。
もっと感じ取れるかもしれない。
もっと良い方法があるかもしれない。
知識を学ぶ。
身体に触れる。
手で感じる。
違いを考える。
そして、また学ぶ。
その繰り返しが10年、20年と積み重なった時、「手」はどこまで研ぎ澄まされていくのだろう。
日本人が長い年月をかけて育ててきた「手業」という文化。
伝統工芸だけではない。
現代のさまざまな仕事の中にも、機械や数値だけでは置き換えることのできない、人間の手だからこそ培える技術がある。
柴崎先生の施術を見ていると、整体という世界にも、そんな「現代の手業」があるのかもしれないと思えてくる。
そして柴崎先生の「手」が、この先どこまで育っていくのか。
その「勉強中」の過程そのものを追いかけていくことも、一つの物語になる。
メディアトーキングとして、これからも追いかけていきたいテーマである。