メディアトーキング物語 第5回
第5回
第一印象は武器になる
──輸入家具会社で知った“見られ方”の力と、
独立・Facebook同級生グループが教えてくれた“場づくり”という天職の芽
――メディアトーキング代表・山元将永
群馬でのログハウス時代を終えた私は、
人生の舵をどこに切るべきか分からないまま、
しばらく「自分を取り戻す時間」を過ごしていました。
一人旅に出て、各地をまわり、
香川で本場の讃岐うどんの店を探していたら
「ついてきて!車で案内するよ」と言ってくれるおじさんに出会い、
店では食後にコーヒーをサービスしてもらう。
そんな、なんてことのない親切の数々が
心をじんわり温めてくれました。
「人との関係が、人生を動かす」
頭で分かっていたことが、
体験としてストンと腑に落ちた時間だったと思います。
ただ、その一方で――
じゃあ具体的に、何を仕事にするのか?
どうやって家族を養っていくのか?
そこはまったく見えていなかった。
そんな迷いの時期に出会ったのが、
輸入家具メーカーでの仕事でした。
家具そのものが天職だと思ったわけではありません。
ただ、一度バラバラになった歯車をもう一度かみ合わせるように、
社会に戻っていくための一歩として、
その会社の門を叩いたのです。
■ 1 「君は第一印象がいい」
──この一言が、自分の“強み”を自覚させた
─
輸入家具メーカーでの私は、営業担当でした。
当時の私は、自分に「強み」などあると思っていませんでした。
学生時代の成績はオール3。
スポーツが飛び抜けてできるわけでもない。
資格が山ほどあるわけでもない。
ひねくれ者だと言われて育ちながら、
何か一つ、胸を張って「これだ」と言えるものがない。
ただ一つ、
行動力と好奇心だけは人より少し強かった
ように思います。
営業職に就いた私は、
毎日のように取引先を回りながら、こう考えていました。
「自分には何ができるんだろう」
「この世界で、どこまで通用するんだろう」
そんなとき、ある日上司から
印象的な一言をもらいました。
「君は第一印象がいい」
その言葉が、胸の奥にストンと落ちてきたのを
今でもはっきり覚えています。
「頭がいい」でもなく
「仕事ができる」でもなく
「センスがある」でもない。
けれども、
「第一印象がいい」という評価は、
なぜか自分でも妙に納得できたのです。
私は昔から、人と話すことが好きでした。
相手の話を聞くことも好きだし、
初対面の人ともわりとすぐ打ち解けられる。
ただ、それを「武器」だと考えたことはなかった。
上司のこの一言で、初めて自覚しました。
「あ、これは努力で身につけたものというより、
自分の“資質”として持っているものかもしれない」
この「自覚」が、その後の私の人生を
大きく変えていくことになります。
■ 2 営業とは「信用を売る仕事」である
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家具という商品の営業は、想像以上に奥が深い世界でした。
もちろん、品質や価格も大切です。
ですが、それ以上に大事なのは、
「この人から買いたい」と思ってもらえるかどうか。
つまり、営業は「商品を売る仕事」であると同時に、
**「信用を売る仕事」**でもあるということです。
輸入家具メーカー時代、
私は決して営業成績トップのエースではありませんでした。
ただ、行く先々で担当者に可愛がられ、
距離が縮まるスピードが早い、
いわば「関係づくりの速さ」があった。
上司の言った「第一印象がいい」という言葉は、
まさにこの部分を指していたのだと思います。
第一印象というのは、
単に服装がきちんとしているとか、
笑顔があるとか、
そういう表面的な話ではありません。
* 人の話をちゃんと聞く
* 目の前の人に興味を持つ
* 相手の立場や気持ちを察しようとする
* 場の空気を読む
* 必要以上に構えず、自然体でいる
こうした総合的な“姿勢”が、
第一印象の良さにつながっていく。
そして私は、この“姿勢”そのものが、
自分の武器になると気づき始めました。
「ああ、自分は“どう見られるか”という部分で
ほんの少しだけ、人より得をしているのかもしれない」
この気づきは、
のちの「新聞記者」としての仕事や
「メディアトーキング」としての活動にも
深く関わってくることになります。
■ 3 しかし──営業がうまくても「経営」は別問題だった
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輸入家具メーカーで働きながら、
私は次第に「独立したい」という気持ちを
抑えきれなくなっていきました。
ちょうどその頃、
インターネット販売が急激に伸びていました。
通販サイトで家具を売り、
個人で生計を立てている人たちが次々と現れてくる。
「自分もやれるんじゃないか」
「自分で店を持って、好きなようにやってみたい」
そんな甘い期待が、
少しずつ膨らんでいったのです。
そして35歳のとき――
2008年8月。
私は独立を決断しました。
ここでピンとくる人は、
かなり経済に敏感な人かもしれません。
そう、リーマンショックの年です。
会社を辞め、
さあここから第三の人生だ!と
胸を躍らせた直後――
世界経済は一気に冷え込みました。
独立当初は、まだ過去の景気の余韻もあって
売上もそこそこありました。
ですが、徐々に消費マインドが冷え込み、
売上も右肩下がりに。
気がつけば、
資金繰りと不安が
頭の中の大半を占めるようになっていました。
この時ほど、
「営業ができること」と
「社長業ができること」は
まったく別物なんだな
と痛感したことはありません。
■ 4 社長業とは、「稼ぐ以外のすべてが降りかかってくる仕事」
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独立してみて、
最初に思い知らされたのはこれでした。
「社長業とは、稼ぐ以外のすべてが降りかかってくる仕事だ」
ということ。
会社勤めの頃は、
与えられた範囲の中で
自分の役割を果たせばよかった。
営業なら「売ること」に集中すればいい。
しかし一度独立してしまうと、
「売る」以外のすべてが
自分の肩にのしかかってくる。
* 資金繰り
* 在庫管理
* 仕入れ交渉
* クレーム対応
* サイト構築
* 集客施策
* 経理・税務
* 役所や金融機関とのやり取り
* 家族の生活のすべて
何か問題があっても、
責任の矢印は全部「社長」に向かう。
これは想像以上に重い現実でした。
家具メーカーで営業をしていた頃の私は、
正直なところ、
「売れるようになれば何とかなる」と思っていたところがありました。
でも実際には、
売上だけではどうにもならないことが
山ほどある。
そのことを
痛いほど思い知ることになったのです。
「自分は社長業には向いていないな……」
そう感じざるを得ない瞬間も
何度もありました。
けれども、
このときに経験した
**「経営者としての不安」や「資金繰りの恐怖」**は、
のちに経営者の本音を聞く
新聞記者としての仕事に
大きな意味を持ってくることになります。
■ 5 独立時代に身についた「耐える力」と「工夫する力」
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独立して家具のネットショップを運営する中で、
私はひたすら
**「どうしたら売れるか」**を考え続けました。
写真の撮り方を変えてみる。
画像加工を独学で学び、
商品の魅力が伝わるように
光の当て方やレイアウトを変えてみる。
商品説明文のコピーを
何度も書き直しては、
お客さんがイメージしやすい表現を探る。
* どうしたら買ってもらえるか
* どうしたら商品の良さが伝わるか
* どうしたら他店と差別化できるか
売れない日々は正直苦しい。
けれども、その苦しさの中で
**「考え抜く力」や「工夫する力」**が
少しずつ鍛えられていきました。
また、リーマンショックという
どうしようもない外部要因を前に
身をもって体得したのが、
こんな感覚です。
「心配事の9割は大したことではない」
「残り1割のうち8割は、
きちんと対処すればなんとかなる」
「どうしようもない2割は、いったん脇に置いておく」
もちろん、
頭では分かっていても、
心が追いつかない瞬間もあります。
それでも、
「最悪の事態を想像しても、
大抵はそこまでいかない。
やることをやって、
あとは静観するしかない」
という感覚は、
このときの経験から
じわじわと染み込んでいきました。
これは、今のメディアトーキングの活動でも
とても役に立っている感覚です。
■ 6 妻の支えと、「あなたは人と関わる仕事が向いている」という一言
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独立した頃、
我が家には2人目の子どもが生まれました。
当然ながら、
生活は一気にシビアになります。
売上が安定しない中で、
家族を守らなければいけないプレッシャーは
相当なものでした。
それでも妻は、
ほとんど文句を言いませんでした。
「40歳までは好きにやっていいよ」
そう言って、
私の挑戦を黙って見守ってくれていた。
今思えば、
とんでもない懐の深さです。
そしてある日、
妻がぽつりと言った一言が
今でも忘れられません。
「あなたは、人と関わる仕事のほうが向いてるよ」
この言葉は、
そのときはただ胸に引っかかるだけでした。
家具のネットショップは、
基本的には“画面の向こうのお客さん”を相手にする商売です。
人と直接会って話す機会が少ない。
一方、私は
「誰かと話しているとき」が一番元気になるタイプです。
それを、誰より近くで見ていた妻だからこそ
出てきた言葉だったのかもしれません。
この一言は、
のちに新聞記者という仕事に出会い、
「会う」「話す」を軸にした
メディアトーキングという仕事につながっていく
大きな伏線になりました。
■ 7 同級生Facebookグループが教えてくれた、
“場をつくる喜び”という新しい感覚
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自営生活を続けている中で、
もう一つ、大きな出来事がありました。
それが、Facebookの登場です。
当時、SNSとしてのFacebookが
日本でも一気に広まり始めた頃でした。
しばらく会っていなかった同級生たちが
次々とアカウントを作り、
久しぶりの再会ラッシュが起きました。
「おお、あいつ今こんな仕事してるのか」
「懐かしいなぁ、みんな年を重ねたなぁ」
画面の中で、
かつてのクラスメイトたちが
大人になった姿で動き始める。
その様子を見ていた私は、
ふとこんなことを思いつきます。
「同級生だけのFacebookグループを作ったら面白いんじゃないか?」
そして、実際にグループを作り、
気づいたら自分が管理人になっていました。
■ 誕生日紹介・画像制作・盛り上がるオンラインコミュニティ
時間の自由が比較的あった自営時代。
私は、そのグループの中で
毎月「今月誕生日の人たち」をピックアップして
オリジナル画像を作って紹介する
ということを始めました。
学生時代の写真を探してきて、
吹き出しやコメントを添えたり、
ちょっとおもしろおかしく加工したり。
家具のネットショップで学んだ
画像加工のスキルが、
ここで思わぬ形で生きてきたのです。
すると、グループの中で
思った以上に反応がありました。
「うわ、懐かしい!」「こんなの作ってくれてありがとう!」
「センスあるねぇ」「毎月楽しみにしてるよ」
そんなコメントが次々とついていく。
私はそこで、
「場をつくる喜び」
というものを初めて強く感じました。
・誰かが誰かを祝うきっかけをつくる
・懐かしい思い出が掘り起こされる
・画面越しに、笑いが生まれる
自分はただ画像を作って、
投稿しているだけかもしれない。
でも、そのことで
同級生たちの間に
ちょっとした一体感や温かさが生まれている。
それが、たまらなく嬉しかったのです。
「ありがとう」と言われるのも嬉しい。
でもそれ以上に、
「自分が動くことで、場があたたまる」
その感覚そのものが、
私にとって大きな快感になっていきました。
同級生のFacebookグループを立ち上げで嬉しいご褒美もありました。
実家に帰る機会があったのですが、その時、「あいつが帰ってくるから同窓会を開催しよう!」
と同級生が動いてくれて、50人近くが集まって同窓会が開催されました!
私のためではないですが、私をきっかけにこれだけ集まることが出来たというのは
自分の中である意味一つの結果が出せた気がします。
■ 「これ、仕事にできないかな?」という妄想
この頃から、
私は心のどこかで
こんな妄想をするようになります。
「これって、仕事にはならないんだろうか?」
画像加工で人を喜ばせる。
人を集めて、場を盛り上げる。
誰かと誰かをつなぐきっかけをつくる。
それって、
お金になる・ならないは別として、
自分が心から楽しいと感じる行為だなと
気づき始めたのです。
この「同級生Facebookグループの管理人」という経験は、
のちに経営者同士を集めた懇親会や、
社長同士のクローズドなコミュニティづくりへと
まっすぐにつながっていきます。
今、私は
社長を集めた懇親会を定期的に企画していますが、
その原型は間違いなく
この同級生グループにあります。
・人を集める
・場を整える
・一人ひとりの存在がちゃんと見えるようにする
・ちょっとした仕掛けで、会話を生み出す
この一連の流れを、
私はこのとき“遊び”の延長として
徹底的に楽しんでいたのだと思います。
そして後から振り返ると、
この経験が
「メディアトーキング=会話から価値を生む仕掛け人」
という今のコンセプトにつながる
とてつもなく重要なピースだったと分かります。
■ 8 家具会社で学んだ“第一印象力”、
独立で知った“経営の現実”、
同級生グループで見つけた“場づくりの喜び”
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こうして振り返ってみると、
この時期の私は
* 輸入家具メーカーで
**「第一印象は武器になる」**という事実を知り、
* 独立・自営を通じて
**「経営とはすべての矢印を引き受ける仕事」**だと学び、
* Facebook同級生グループの管理人として
「場をつくること」「人をつなぐこと」が
自分にとって大きな喜びであると知った、
そんな時期でした。
まだ、この時点では
「新聞記者になる」ことも、
「メディアトーキングを立ち上げる」ことも
まったく想像していませんでした。
ですが今振り返ると、
このすべてが
のちの記者人生、そして
メディアトーキングの土台になっているのが分かります。
* 第一印象の良さ=初対面で心を開いてもらう力
* 経営のしんどさを知っている=社長の本音を理解できる土台
* 場をつくる楽しさ=懇親会やマッチングの原型
これらが一本の線になったとき、
**「会話から価値を生む仕掛け人」**という
生き方が立ち上がってくる。
その直前の物語が、
この第5回でお話しした内容です。
■ 9 第6回へ──
記者試験全落ちからの“大逆転”と、
41歳でようやく出会った「天職」という話
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次回・第6回では、
いよいよ「新聞記者」の話に入っていきます。
・大学院時代に受けた地方紙の記者試験で、
見事に全落ちした話
・それでも心の奥に燻り続けていた
「消えてしまう物語を記録したい」という思い
・自営生活の終盤、
ハローワークで偶然見つけた
経済新聞の求人票を見た瞬間に走った“電流”
・そして41歳にして、
初めて「これが天職かもしれない」と
心から思えた新聞記者という仕事との出会い
ここから、
「場づくり」と「会話」と「価値の掛け合わせ」が
一気に加速していきます。
遠回りに次ぐ遠回りの人生が、
ようやく一本の線になり始める瞬間を、
次回お届けしたいと思います。