楠木正成公の首級が館林に?!
館林市楠町にある楠木神社。
この小さな神社に、楠木正成公の「首級」が祀られている——
そんな話をご存知だろうか。
史実と伝承、その狭間にある物語を、館林の地から辿ってみたい。

楠木正成公の最期と「史実」
南北朝初期の延元2年(1336年)、足利尊氏の軍勢との戦いに敗れ、
楠木正成公は自刃した。
正成公の首級は京都・六条河原に晒された後、
尊氏の配慮により親族のもとへ返され、
大阪府河内長野市の観心寺に葬られた——
これが一般に知られる「史実」である。
晒された首は、本当に正成公のものだったのか
しかし、館林には異なる伝承が残されている。
六条河原に晒された首級は、
実は正成公のものではなく、
宇佐美河内守正安の首級を身代わりとしたものだったという。
本物の正成公の首級は塩漬けにされ、
7名の遺臣によって密かに運ばれた。
途中、2名は戦死し、
最終的に5名が生き残ったと伝えられている。
首級を奉持した遺臣たちの逃避行
遺臣たちはまず、甲斐国・富士小室浅間神社の大宮司であった
三浦越中守義勝を頼り、
護良親王殿下の首級とともに納め奉った。
その後、富士谷に潜伏するも足利方の追手が迫り、
上総国新田庄花見塚(現在の尾島町付近)へ身を寄せる。
しかし、そこにも追手が及び、
陸奥国霊山に立て籠もる北畠顕家を頼るべく、
再び移動を開始する。

館林の地で見た「同じ夢」
自分はこの地に落ち着きたい。
其の方もこの地に住め
一行が羽継原(現在の館林市赤羽町付近)に差しかかった時、
原野に一本の大樹が立っていた。
その木の下で休息し、皆が疲れから眠りについた時、
全員が同じ夢を見る。
夢枕に立ったのは、主君・楠木正成公だったという。
首洗い堰と、大樹の根元
遺臣たちは夢のお告げに従い、
近くの沼の堰で首級を洗い、
先ほど休んだ大樹の根元に正成公の首級を葬った。

首を洗った堰は、
現在も「正成公首洗い堰」の碑として残されている。

五苗と「名を憚る信仰」
生き残った家臣5名は、
主君の首級が眠るこの地に祠を建て、
変名して土着する。
彼らは後に「五苗(ごみょう)」と呼ばれ、
子々孫々にわたり祭祀を怠らず、
厚く信仰を続けた。
足利の地に近い館林で追手を避けるため、
「楠(クス)」の字を憚り、
「野木」「乃木(ノギ)大明神」と称したとも伝えられている。
600年以上、守られてきた秘密
こうして600年以上にわたり、
限られた人々によって秘匿され、
守られてきたのが、館林市楠町の楠木神社である。
秘密であったが故に不明瞭な点も多いが、
確かにこの地には語り継がれてきた物語が存在する。
筆者:
メディアトーキング
山元将永(やまもと のぶひさ)